欧州特許庁での権利化において、出願人・特許権者が最も警戒すべき落とし穴の一つが「逃れられない罠(inescapable trap)」です。これは、欧州特許庁における異議申立においてEPC第123条(2)とEPC第123条(3)という二つの規定が同時に問題となり、どちらの方向に対応しても特許が取り消される「詰み」の状態を指します。一度この罠にはまると、権利を維持する手段が実質的になくなってしまいます。
EPC 123条(2)、EPC123条(3)とは?
EPC第123条(2)は、補正の際に出願時の内容を超える事項を含めてはならないという「新規事項の追加禁止」を定めています。日本特許法第17条の2第3項に相当するルールですが、欧州特許庁(EPO)はこの審査をとりわけ厳格に運用しており、「出願当初の書類に直接かつ明確に開示されているか(directly and unambiguously disclosed)」という高いハードルが課されます。
EPC第123条(2)
欧州特許出願又は欧州特許は,出願時における出願内容を超える対象を含めるように補正してはならない。
EPC第123条(3)は、特許付与後の補正によって保護範囲を拡張することを禁止する規定です。いったん特許が成立した後は、クレームの保護範囲を広げる方向の補正は一切認められません。
EPC第123条(3)
欧州特許は,保護を拡張するように補正してはならない。
「逃れられない罠」では、このEPC第123条(2)そしてEPC第123条(3)の2つの規定が同時に牙を剥きます。
「逃れられない罠」が発生するシナリオ
具体例で説明します。
出願当初のクレームには「A+B」という構成が記載されていたとします。審査の過程でクレームを補正し、「A+B+C」として特許が成立しました。
ところが、特許成立後に第三者から異議申立がなされ、この特許に追加された構成要件「C」が出願当初の書類に開示されていなかったとしてEPC第123条(2)違反(新規事項の追加)と指摘されました。
このとき、考えられ得る選択肢は理論上以下の2つです。
選択肢①:「C」を削除してクレームを「A+B」に戻す
しかし、そうすると元のクレーム「A+B+C」から「C」という限定を取り除くことになり、クレームの保護範囲が出願時よりも広がってしまいます。これはEPC第123条(3)が禁止する「保護範囲の拡張」に該当します。
選択肢②:「C」を保持したままにする
「C」を残せば、EPC第123条(3)の問題は発生しません。しかし「C」が残ったままであればEPC第123条(2)違反(新規事項の追加)が解消されません。
どちらの方向に動いても規定違反が発生する——これが「逃れられない罠」の正体です。特許は維持できないという結論に至り、取消確実な状態に陥ります。
実務上の対策
「逃れられない罠」に陥らないための最善策は、最初から新規事項の追加となる補正を行わないことです。補正の都度、「この特徴は出願当初の書類に直接かつ明確に開示されているか」を厳しく自問することが不可欠です。
特にSingling Out、図面に基づく補正そしてCherry Picking(過去の記事「日本の実務家がしがちな欧州での危険な補正の形態5つ」をご参照ください)を伴う補正はこの「逃れられない罠」に陥るリスクがかなり高いので注意が必要です。
