短編小説は2018年の「〇マゾンが特許事務所を飲み込む日」以来になります。
「〇マゾンが特許事務所を飲み込む日」では弁理士という仕事に希望のあるエンディングで締めくくることができましたが、今回は少なくとも弁理士という仕事に関してはかなり悲観的なエンディングとなってしまいました。このため批判的が声が多いかなと思いましたが、思いのほか肯定的なフィードバックを多く頂戴したことに驚きました。多くの方がこのような未来が現実味を帯びてきていると感じていることを実感しました。
さて今回の短編小説では長谷川および佐藤の2人の立場からAIの波に翻弄される弁理士の姿を描いてみました。
弁理士がAIに負けるといってもいきなり全ての弁理士が職を失うわけではありません。いつ、どの段階で影響を受けるかはその弁理士のポジション、クライアントとの情報格差、業務内容等によって大きく影響を受けることになると思います。とりわけ早くに影響を受けるのがクライアントとの情報格差がなく、クライアントの方針にしたがって明細書作成や意見書作成をする弁理士だと思います。小説では長谷川がこの部類に属し、真っ先に影響を受けました。
しかしこの段階ではまだまだ弁理士業界は元気だと思います。この段階ではAIには平均レベルの弁理士の能力しかないので、平均以上の能力を有する弁理士は引き続き求められます。またAIによって優秀な弁理士の生産性も爆発的に向上するので個々の弁理士のパフォーマンスも上がります。
また新たな仕事も生まれると思います。例えば佐藤が就いたAIを教育する仕事であったり、セキュリティ関連の仕事も生まれると思います。このためAIによる最初の波を乗り越えた弁理士達により業界は盛り上がると思います。
しかしこの弁理士とAIとの蜜月期間も長くは続きません。
弁理士とAIとの関係の未来を占う上で参考になるのがチェスにおけるAIの進化です。
1997年に当時のチェスチャンピオン、ガルリ・カスパロフがIBMのスーパーコンピュータに敗れた後、人間のチェス名人達はAIのサポートによって腕を飛躍的に上げました。そしてしばらくの間、ケンタウロスと呼ばれるAIと人間のチェス名人とのチームが人間単独またはAI単独よりも良い成績を残していました。しかし現在ではAIが強くなりすぎたので人間の協力は価値を失ったと言われています。
つまりチェスの歴史のように最初はAIと人間の弁理士とのチームつまりAIを使いこなす弁理士が最もパフォーマンスが高い時期がありますが、AIの進化と共に人間の弁理士の関与は無価値になっていくと思います。
またAIによって生まれる仕事を過信するのも危険です。
産業革命時には多くの手工業の職人達が職を失いましたが、その失業した職人達は工場で機械工としての職を得ることが可能でした。しかしAIによって生まれる仕事は、AI以上の能力を有する者にしか勤まりません。弁理士としての平均的能力しか有さない長谷川が、弁理士としての平均的能力を有するAIをトレニンーグすることは不可能だからです。このためAIによって生まれる仕事は、AIによって仕事を失った弁理士の受け皿になることはありません。
またAIによって生まれる仕事のネックはその新たな仕事自体も数年でAIに置き換えられる可能性があるということです。このような状況下で生まれる仕事はせいぜいで有期雇用か業務請負しか生みません。つまりAI台頭期における知識労働者は不安定な雇用状況の中、常に新たなスキルを獲得し、来るべき今の仕事がなくなる時に備えなければなりません。果たして人間がこのようなストレスフルな状況に耐えられるかが疑問です。小説の中では佐藤はこの状況に絶望している様子が描かれています。この絶え間のない進歩の螺旋から早めに降りられた長谷川はもしかすると幸せだったのかもしれません。
このようにAIは進化しながら自らが生み出した仕事をも飲み込み、最終的には全ての知的労働を飲み込んでいくと思います。
この貪欲に全ての知識労働を貪りつくすAIの性質が王欣太先生の「蒼天航路」の冒頭に登場する「犭貪」(とん)」という怪物に似ていると個人的に思い、この「犭貪」(とん)」の別名として知られる饕餮(Taotie)に因んで小説におけるAIをTaotyと命名しました。
「孔子の教えの一説に「犭貪」(とん)という想像上の怪物が出てくる。その怪物の特徴は、まず、巨大であること、それに、とても欲深いことだ。
なんでも食ってしまうのだ。土塊(つちくれ)も鉱物も山も海も、もちろん人間も、人間の造形物もなんでもかんでもだ。…
しかも限りがない。自足するということを知らぬのだ。
(それは太陽をも飲み込み、最後には自分自身の体をも食べ尽くして)犭貪は闇だけを残す。そして、無……である。欲望のなれの果てだ。」
(出典:王欣太先生、蒼天航路、モーニングKC、1995、第一巻 冒頭部 )
さて、悲観的なことばかり書いてしまいましたが、自らの仕事がAIに飲み込まれることを過度に恐れる必要は無いと思っています。
上述したように全ての知識労働者は最終的にはAIに飲み込まれると思います。つまり事務所弁理士も、企業知財部員も、審査官も、今現時点で危機感を持っている者も、自分は大丈夫だと高を括っている者も、遅かれ早かれ全てAIに置換されます。つまり人類が平等にAIによる影響を受けるので自分だけが没落するという状況にはなりません。もしかすると全ての知識労働者がAIに置換される頃には企業や特許制度といった概念も無くなっているかもしれません(このあたりの未来予想については過去の記事「グーグル翻訳の進化を目の当たりにして業界の今後について考えてみた」をご参照ください)。
また人間による知識労働の経済的価値がAIによって奪われたとしても、学ぶことの楽しさ、創作することの喜び、困っている人を助けることによって得られる幸福感は人間から奪われません。チェスにおいて人間がAIに決して勝てないことが確定した後も人間はチェスを楽しむことを止めませんでした。
したがってAIが人間以上の知能を獲得した後も人間はこれまで何千年も我々の祖先がそうしてきたように、学び、創造し、共同体の中で共に協力し合って生きていくのだと思います。
「弁理士がAIに負ける日」の締めくくりにAIとの闘いに疲れた佐藤を長谷川が暖かく迎えてくれる様子をChatGPTに絵にしてもらいました。
静かな夜、焚き火の灯り、満天の星、そして語らう佐藤と長谷川—
いかがでしょう?弁理士としての役目を終えた後に、こんな時間が待っているのなら何も恐れることは無いと思えませんか?
ここまで私の妄想にお付き合いいただきありがとうございました。また創作意欲が湧いたら短編小説を書いてみようと思います。